しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

小田原へ小旅行の巻

先日所用で小田原へ行きました。

 

小田原市役所の前に噴水広場があって、結構涼しいなと思いました。市役所の中にはジャンボ木鉢なるものが置いてありました。

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小田原といえば小田原城、というのは安直すぎたかもしれませんが行きました。天守閣に入るには500円かかるらしいので辞めておきました。(大して景色も綺麗じゃないと思うし)

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広場では、花菖蒲と紫陽花が綺麗に咲いておりました。 

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 実は僕、お花の中で菖蒲が一番好きなんです。一時期狂ったように菖蒲の絵を描いていた時期もありました。

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紫陽花。

 

次に海岸へ行きました。

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人はまばらで、一人の時間を過ごせました。波音が気持ちよかったです。

 

あまり時間がなかったので、食事をとることはできませんでした(名産もよく分からなかったし)。

 

次行くことがあれば、ゆっくり食事もしたいと思ったしんしんでした。

【備忘録】視覚によらずに空間を編成するということ-Måseide, P. & Grøttland, H. (2015)

面白い論文を読みました。まだ充分理解できてないですが、メモを。

 

Måseide, P. & Grøttland, H. (2015). Enacting Blind Spaces and Spatialities: A Sociological Study of Blindness Related to Space, Environment and Interaction.Symbolic Interaction, 38, 4, 594-610.

 

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世界という概念

僕が勉強している分野、主に社会学や人類学において、「世界」という言葉がよく使われます。

「社会的世界」とか、あるいは単に「世界」とか。

 

でも、最近具体的に世界が何を指すのかよく分からなくなってきました。

自分のパースペクティブを通して見える物理的環境の総体、と一応僕は考えていますが、この定義だと、見たことがなくても存在するもの(行ったことがない土地や会ったことがない人々)は存在しないことになりますよね。それだと違和感が残る。

 

Bruno Latourは"War of the Worlds"(世界と世界の戦争)という本を書いています。

僕はまだ読んでいないのですが、Latourが世界をどう扱っているかに留意して読もうと思います。

複数の世界という概念はキーになりそうです。

 

音楽の分野でワールドミュージックという言葉があります。

文字通り、この地球上の全ての音楽を指しているわけですが、これは西洋古典音楽(いわゆるクラシック)を正当とみなしがちなことへの反省から生まれた言葉です。

しかし、結局これは、地球上のあらゆる音声的な営みを、"music"という概念に無理に収斂させているだけなんじゃないかと僕は思います。

 

日本の音楽も、英語の"music"も、ヨーロッパやアジアや南米やアフリカでも、人間が何らかの自らの身体や道具を用いて、音声を発生させているという事実に変わりはなくても、それをミュージックと言ってしまっていいのか、という疑問です。

 

これからも色々考えます。差し当たり、考えていることを羅列してみました。

 

 

隙間とかたまり

隙間時間を有効活用しようって考えはよく見られますね。

電車に乗る少しの時間に読書する。受験生であれば英単語帳を読むとか。

一日10分でも、一ヶ月で5時間分になる!という風に。

 

この考えも有用だけど、やっぱり勉強するには時間のかたまりが必要だと思います。

ものを考えるには一日丸ごと使うくらい時間を割くべきだと思います。

論文(特に英語)を読むにも、やっぱり腰を据えて真正面から挑まないと集中できない。少なくとも僕は。

 

かたまりを費やしてこそ、一握りの閃きが生まれる、もとい生まれてほしい(切実)

自己愛の沼

自己愛は沼です。

自分の利益になることを追求することは自己愛という動機に基づいていると言えます。

利他的に見える行為も利己的だということです。

どんな人間も自己愛の沼から抜け出すことはできません。

 

「情けは人の為ならず」

他人に親切にすることは、いずれ自分に返ってくる、というような意味の諺。

言うまでもなく、自己愛にまみれていますね。

 

ボランティアに従事している人、ボランティアから満足を得ているなら、それは自分の利益のための自己愛の沼にはまっています。

 

誰も自己愛からは逃れられないんです。

自殺であっても、苦しみから逃れるという利益を得るわけですから、自己愛に基づいています。

 

沼から抜け出そうにもどんどん足を絡め取られてしまいます。

 

 

ブログを始めて7ヵ月経った話

ブログを始めて7ヵ月が経ちました。

知り合いに感化されたのがきっかけ。ゆるゆる続けてきました。

 

最初は月1で更新しようって思ってたけど、年末年始は書きたいことがかなり多くて時間を忘れて書き殴った覚えがあります。その反動で2,3月はほとんど書いていないわけですが…笑

 

記事について言うと、読書記録的なものが多めですよね。次に自分が勉強していることに関連するもの。文量も平気で数千字超える記事も多い。

最近は、そんなに力を入れて書かなくていいかなって感じです笑(そもそも忙しくてそんな長文を書く気力がない)

最近だと蒸しタオルの記事がお気に入りです!皆さん蒸しタオルで眼精疲労を癒しましょう!

 

とまあこんな感じで、当分の間は、たまに長文の気合の入った記事をつらつら、普段は短めの記事をぽちぽちしようと思っているので、肩の力を抜いて読んでいただけたら幸いです。

これからもよろしくお願いします。