しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

世界という概念

僕が勉強している分野、主に社会学や人類学において、「世界」という言葉がよく使われます。

「社会的世界」とか、あるいは単に「世界」とか。

 

でも、最近具体的に世界が何を指すのかよく分からなくなってきました。

自分のパースペクティブを通して見える物理的環境の総体、と一応僕は考えていますが、この定義だと、見たことがなくても存在するもの(行ったことがない土地や会ったことがない人々)は存在しないことになりますよね。それだと違和感が残る。

 

Bruno Latourは"War of the Worlds"(世界と世界の戦争)という本を書いています。

僕はまだ読んでいないのですが、Latourが世界をどう扱っているかに留意して読もうと思います。

複数の世界という概念はキーになりそうです。

 

音楽の分野でワールドミュージックという言葉があります。

文字通り、この地球上の全ての音楽を指しているわけですが、これは西洋古典音楽(いわゆるクラシック)を正当とみなしがちなことへの反省から生まれた言葉です。

しかし、結局これは、地球上のあらゆる音声的な営みを、"music"という概念に無理に収斂させているだけなんじゃないかと僕は思います。

 

日本の音楽も、英語の"music"も、ヨーロッパやアジアや南米やアフリカでも、人間が何らかの自らの身体や道具を用いて、音声を発生させているという事実に変わりはなくても、それをミュージックと言ってしまっていいのか、という疑問です。

 

これからも色々考えます。差し当たり、考えていることを羅列してみました。

 

 

隙間とかたまり

隙間時間を有効活用しようって考えはよく見られますね。

電車に乗る少しの時間に読書する。受験生であれば英単語帳を読むとか。

一日10分でも、一ヶ月で5時間分になる!という風に。

 

この考えも有用だけど、やっぱり勉強するには時間のかたまりが必要だと思います。

ものを考えるには一日丸ごと使うくらい時間を割くべきだと思います。

論文(特に英語)を読むにも、やっぱり腰を据えて真正面から挑まないと集中できない。少なくとも僕は。

 

かたまりを費やしてこそ、一握りの閃きが生まれる、もとい生まれてほしい(切実)

自己愛の沼

自己愛は沼です。

自分の利益になることを追求することは自己愛という動機に基づいていると言えます。

利他的に見える行為も利己的だということです。

どんな人間も自己愛の沼から抜け出すことはできません。

 

「情けは人の為ならず」

他人に親切にすることは、いずれ自分に返ってくる、というような意味の諺。

言うまでもなく、自己愛にまみれていますね。

 

ボランティアに従事している人、ボランティアから満足を得ているなら、それは自分の利益のための自己愛の沼にはまっています。

 

誰も自己愛からは逃れられないんです。

自殺であっても、苦しみから逃れるという利益を得るわけですから、自己愛に基づいています。

 

沼から抜け出そうにもどんどん足を絡め取られてしまいます。

 

 

ブログを始めて7ヵ月経った話

ブログを始めて7ヵ月が経ちました。

知り合いに感化されたのがきっかけ。ゆるゆる続けてきました。

 

最初は月1で更新しようって思ってたけど、年末年始は書きたいことがかなり多くて時間を忘れて書き殴った覚えがあります。その反動で2,3月はほとんど書いていないわけですが…笑

 

記事について言うと、読書記録的なものが多めですよね。次に自分が勉強していることに関連するもの。文量も平気で数千字超える記事も多い。

最近は、そんなに力を入れて書かなくていいかなって感じです笑(そもそも忙しくてそんな長文を書く気力がない)

最近だと蒸しタオルの記事がお気に入りです!皆さん蒸しタオルで眼精疲労を癒しましょう!

 

とまあこんな感じで、当分の間は、たまに長文の気合の入った記事をつらつら、普段は短めの記事をぽちぽちしようと思っているので、肩の力を抜いて読んでいただけたら幸いです。

これからもよろしくお願いします。

役所を回って思ったこと

最近東京周辺の市区町村の役所を回って行政資料を閲覧しているのですが、とても面白いです。

 

何が。

役所毎の個性を感じられるところが。

 

個性、それは役所の建物の形であったり、職員の方の態度であったり、更には行政資料のレイアウトまで実は役所によって違ったんです。

 

松戸市役所は迷路みたいで面白かったです。床にルートが書かれているので迷うことはなかったですが。

足立区役所はとても開放的なデザインの建物でした。

江戸川区役所の玄関前には小さな滝みたいなのがありました。

 

千葉の長生村役場の方は、すれ違う度に皆さん挨拶をしてくれました。普段から朝礼などで言われてることなのかなと思いましたが、無視されるよりは気持ちよかったです。

 

資料のレイアウトが違うことを発見した時は感動しました。

足立区の決算書からは絶対に紙を無駄にしないぞという強い意志を感じましたし(そのせいで若干読みにくいが)、葛飾区の決算書はとても洗練されていました(多分これがベスト)。

江戸川区役所の職員さんに教えてもらったのですが、資料の内容は規則(?)があるけれども、具体的なレイアウトは各自治体の裁量らしいです。

 

 

そして、役所で働くのもよさそうと思いました(小並感)

 

思いの動態保存

「動態保存って言葉知ってる?」

「いや、知らない」

「機械とかをね、動かせる状態で保存することを動態保存って言うんだって」

「ググってみるわ…ふむ…遺産あるいはマニアのために電車を走れる状態にしておくことが例として載ってるね」

「僕ね、これ人間にもあると思うんだ」

「というと?」

「運動していないと『鈍る』って表現したり、頭が柔軟な状態を『冴える』って表現したりするでしょ? そういうこと」

「確かに、身体や頭を動態保存するのは大事かもね。筋肉痛になるのは、動態保存できてないと言える」

 

「うん、でもね、思うんだけど、人間の思い、それも良い思いってかなりの割合で動態保存されるんだ」

「思いか」

「子どもの頃何か熱中したものはある?」

「友達とやったドッジボールとか、ゲームとか、カードゲームとか色々あるね」

「それって今思い出しても楽しくない?」

「確かに楽しいね」

「そう、楽しいの。具体的にどういう場面で何が楽しいかは思い出せないかもしれないけど、『楽しさ』は動態保存されると思うんだ」

「今思ったけど、『好き』って気持ちも動態保存されてるのかも。以前好きだった女の子、今でも好きだなって思うもん」

「それはやばいでしょ。まあ、分かるけど…」

「ほらほら」

「思い出の美化ってこういうことかもね。以前付き合ってた人とは楽しいこともあれば、喧嘩したこともあるけど、今では『いい思い出』って思えるのは、好意が優先的に動態保存されてるからかも。一概には言えないけど」

「好意が優先的にねぇ…というよりかは、好意でも嫌悪でも、思いの絶対値が強いと動態保存されやすいのかなと思った」

「嫌いな奴は嫌いだし、好きな奴は好き、みたいな?」

「そんなところかな。トラウマっていうのも、嫌悪の動態保存って言える」

「フラッシュバックがまさにそうだね」

「僕はなるべくたくさんの好意を動態保存したいな。大切な人たちへの気持ちをいつまでも保存しておきたい」

「保存というか、現に目の前にあるもの、いる人たちを大切にしような」

「『今ここから』ってことだね」

「そろそろ寝よう」

「おやすみ」