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しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

市民プールで泳いだよ-「水泳する身体」と「追い抜き配慮実践」に関する私論(試論)

日頃行かないプールに初めて行ったのですが、そこでずっとaikoの曲が流れててすごいなと思いました(小並感)

 

それに泳いでる時には音楽聞こえないし(笑)

 

でもまあ、kisshug聴いて花より男子を思い出して懐かしくなったり、カラオケ行きたくなったりしました。

 

泳いでる時に何を考えてますか?

まあ、いろんなことを考えますよね。

 

泳ぎについて

もちろん泳いでいる時には、自分の泳ぎについて考えます。

 

壁をキックしてスタートしてからドルフィンキックをしている時に

「今日いい感じ」とか「あ、ちょっと深かった」とか

 

5mラインに近づいた時に

「次のストロークで息継ぎすれば(ターンするのに)ちょうどいい」とか

平泳ぎだったら

「ちょっと遠いから、よく伸びなきゃ」とか

 

ターンする時に

「あ、近かった」とか「今の上手かった」とか

 

 

もちろん、泳ぎのすべてに意識を張り巡らせているわけではなくて、無意識の動きのほうが多いと思うんですけど、それでも、泳いでる時にはいろいろ泳ぎについて考えているのだな~って改めて思います。

 

水泳する身体

泳ぎについて意識することに関連して思ったことを書いてみます。

スポーツなら何でも(何ならスポーツ以外でも)、練習が必要ですよね。

 

練習の2段階は以下のように表せます(Twitterか本で見たんですが、詳しい出処は忘れてしまいました)。

  1. 意識してもできないことを、意識すればできるようにする
  2. 意識すればできることを、無意識にできるようにする

水泳は、手の動き、足の動き、身体のローリング、ターン、飛び込み、ドルフィンキックとか、複雑な身体の動きが合わさって、一つの泳ぎになっています。

でも、一度、文字通り体得してしまえば、それを意識して泳ぐことはなくなります。なんとなくでも泳げてしまうわけです(ここら辺は初めて自転車に乗れたことを思い浮かべれば分かりやすい)。

 

でも、その上で、それらを意識して泳ぐととても楽しいんです。

クイックターンをする時に、「速く回ろう」とか「遠めで足を投げ出そう」とか。

 

身体に染み付いた無意識の動きを再度意識の上に置くことで、元々の動きを見直してそれをまた身体に馴染ませ、より速い泳ぎを目指す。陳腐な言い回しですけど、「限界を超える」ってこういうことなんだなって。

その高みには「水泳する身体」があるのかな~とか思ったり。

オリンピックで出場する選手たちは、その高み同士のぶつかり合いなので、観ていて楽しくないはずないんですよ!!!!

でも、彼らも、もっと上、限界を超えることを目指して日々トレーニングをしていると思うと、身が引き締まる気がしました。

 

 

と、ここで「身体に染み付いた無意識の動きを再度意識の上に置く」っていうのが、大学入って社会学を勉強して「目から鱗が落ちる」思いをした経験と似ているなと思いました(無理やりこじつけ)。

今までの自分の物の見方とは別の物の見方をしてみることの大切さとか、無意識のうちのバイアスについて意識するってことの大切さを社会学を勉強するようになってから分かった気がするんです。

 

水泳をテーマに何か研究したいな~ってここまで書いて、体に電撃が走って、殴り書きしたのが以下の文章です。ご査収ください。

 

他人と泳ぐ-「追い抜き」の技法

市民プールで練習する以上、他の利用客と同じコースで泳ぐことがほとんどです。

周りの人に配慮して泳ぐことが不可欠な状況での「追い抜き」について書いてみます。

結論から言うと、速い人、遅い人それぞれの「追い抜き配慮実践(追い抜く人・追い抜かれる人双方が、追い抜きに際して互いに配慮する実践)」によって、そのコースにおける秩序が達成されます。

 

今日は同じコースに高校生くらいの男子とおじいさんの二人がいました。

前者はそこそこ泳げる(こういういい方は失礼かもしれないが)人で、後者はゆっくり泳がれていました。

そのコースは50m以上泳ぐ人向けの「上級者コース」で、追い抜き(壁際5m以外)やターンが許されているコースでした。

 

同じコースの人びとの間で速さが顕著に異なる場合、それぞれの人は完全に自分のペースでは泳げなくて同コース者を配慮する必要があります。

 

今日のテーマ(覚えてましたか?笑)の「泳ぎ中考えること」について言えば、追い抜く側の人は泳いでいる時に、

「前の人を抜かすか否か」「抜かすならいつか」「抜かさずこっちのスピードを緩めるか」「追い抜こうと思ったけど、もう一人が折り返してくるから無理だ」

とか色々と考えます。

 

追い抜かれる人は、

「コースロープ側に寄って、少しスピードを落とそう」「25mでいったん止まろう」「少しスピードを上げて、先に向こう岸に着こう」

とか、考えます。

 

「追い抜き」はそれぞれの泳法によって異なります。

クロールや背泳ぎだったら、そんなに幅を取らないので、追い抜きは簡単です。

しかし、どちらかが平泳ぎとかバタフライだったりすると、泳ぎが幅を取るので手や足が当たらないように追い抜くのが難しかったりします。

 

 

泳いでいる時の追い抜きが難しい場合はどうすればいいのでしょう。

「追い抜き配慮実践」は、泳いでいる時だけではなくて、壁際でスタートする時にも見られます。

相対的に遅い人は、自分が壁際に着くと、ゴーグルを外したり、コースロープ際に寄って、自分は泳がないという意思表示をして、後から来る相対的に速い人に順番を譲ります。

場合によっては、「お先にどうぞ」という合図(手で)や、言葉で速い人を促します。

 

相対的に速い人は、壁際に着くと、レスト時間を入れずに先にスタートすることで、前に出ようとします。

 

最初は同コースでバラバラに泳いでいた3人が、追い抜き配慮実践によって一番速い人を優先することで、そのコースには安定した「泳ぐ順番」が立ち現れます。

バラバラの3人は同じ練習メニューで泳いでいないので、そもそも順番は存在しません。

しかし、同コースで泳ぐ中で3人のうちには、誰が速く、誰が遅いかについての合意が形成され、その結果として「速い人-次点-遅い人」という順番形成が達成されます。

 

一度順番が決定すれば、速い人・遅い人は自分の泳ぎに集中できる環境が整うし、もし「周回遅れ」の状況が来ても、互いの役割(追い抜く者/追い抜かれる者)に沿った配慮実践をすれば、安定した泳順ないし環境という秩序が維持/再達成されるというわけです。

 

市民プールで泳ぐ時に、何気なく一人で泳いでいるように見えて、実はこんなことを僕たちはしているんです。

これって面白くないですか?

「プールの社会学」byしんしん

 

まとめ

はい。プールで泳ぐ時には、人は様々なことをしています。水泳は個人のスポーツに見えるけど、実はプールのなかにも社会的なやりとりを見出すことができるというわけです。

 

まあ一番考えているのは、「おしっこしたい」とか「お腹すいた」とかなんですけどね。