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しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

酉年なので、太宰治『火の鳥』

火の鳥です。酉年だけに。

図書カード:火の鳥

 

この作品は未完の作品として知られていますよね。

以前の記事と合わせて、もう1度太宰の描く恋愛に触れてみたいと思います。

 

sample-bang.hatenablog.com

 

 

 

 

あらすじ

序編と本編(の途中)で構成されています。

主人公の高野幸代の廃残と再生が主題になっているように思います。

須々木乙彦との心中失敗。幸代を愛する男同士の決闘。居候先の数枝とのやり取り等々。

が、ここでは中身には深入りしません。

面白い論文があったので、それを貼っておきます。

山口浩行,「太宰治火の鳥』論 : 黒色テロリストの死と再生 」日本文学 49(6), 45-55, 2000-06-10 日本文学協会 http://ci.nii.ac.jp/naid/110009904537

 

 

恋愛観

 以下引用するのは、家に転がり込んできた幸代に対して、劇作家の三木が説教をする際に放った言葉です。長いですが、ご容赦ください。

 

真実というものは、心で思っているだけでは、どんなに深く思っていたって、どんなに固い覚悟を持っていたって、ただ、それだけでは、虚偽だ。いんちきだ。胸を割ってみせたいくらい、まっとうな愛情持っていたって、ただ、それだけで、だまっていたんじゃ、それは傲慢だ、いい気なもんだ、ひとりよがりだ。真実は、行為だ。愛情も、行為だ。表現のない真実なんて、ありゃしない。愛情は胸のうち、言葉以前、というのは、あれも結局、修辞じゃないか。だまっていたんじゃ、わからない、そう突放されても、それは、仕方のないことなんだ。真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。時間をかけて、努力して、創りあげるものだ。愛情だって同じことだ。自身のしらじらしさや虚無を堪えて、やさしい挨拶送るところに、あやまりない愛情が在る。愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。

 

まとめてみると、

Truth doesn't exist per se.

Truth is production.

Truth is performance.

Truth is expression and invocation.

Truth is emergent/constructed in and through practices.

 ということですね。英語にするとかなり分かりやすいですね。

 

 

胸の中の愛情が行為という形で発現することで初めて真実になるという見方です。

この考え方が『チャンス』にも見て取れますよね。愛は自らの意志による事業だというのが『チャンス』における恋愛観でした。

 

真実はそれ自体存在せず、行為によって作り上げられるものである。なんという社会構成主義

 

更に僕は、真実はパフォーマンスという風に表現しました。

真実はそう「である」というより、そう「なる」、あるいはそう「であるように"perform"される」、という側面を強調するためです。

社会というドラマを生きる我々のパフォーマンスに真実を見出すというわけです。

 

その真実の発現/表現/構成を支えるのが、様々な実践であるというわけです。

上の引用では、真実と愛とは同義なので、以後愛という単語を使います。

作中の表現だと、金銭の援助や、居候をさせること、決闘をすることなど、様々に愛が表現されます。

 

愛は、最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思っては、いけない。

 

やはり、恋愛というものは、決して落ちるものではなく、自らの意志で続けていくものという太宰の考えがうかがえます。

 

里見の「まごころ哲学」の対極にあるような気がしますね。

里見のまごころは、まず自分の満足が再優先なわけです。

しかし、太宰の愛は、自分の満足を思ってはいけない。常に相手のために尽くすことこそが最高の愛なのです。

 

 

おわりに

火の鳥』。面白いので読んでみてください。短めなので。登場人物それぞれの「愛」がとても強烈で、度々その愛同士が激突するのが面白いです。

 

 

最近つねづね思うのは、読書量が足りないなということです。

もっとたくさん吸収して、面白い記事を書きたいな〜って思ってます。

今年も1年よろしくお願いします(今更)