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しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

違和感の社会的構成

僕達が、普段何気なく、特に意識することなく日常生活を送っているとき、それを秩序が保たれていると表現しましょう。

 

では、僕達が、他人の行為あるいは自分自身の行為に対して、場違いであるとか、違和感を抱くとき、それは秩序が壊されていると言えるでしょう。

 

その違和感はなぜ生じるのでしょうか。

すなわち、その秩序はどう保たれていて、どんな時に壊れるんでしょう。

 

 

ゴフマンなら''interaction order''というパースペクティブでこの出来事を記述するだろうし、ガーフィンケルなら「違背実験」という風に表現するかもしれません。

 

それは、もっと単純に、「常識」に反していると言えるかもしれない。

 

常識とは、英語だと''common sense''と表現します。

それは''sense''、すなわち感覚の問題なのです。

僕達がどう感じるか、どう感覚するか、それが問題なのです。

それを''sensory order''と表現しましょう。(Vannini et al.2013)

 

ある出来事に対して僕達が違和感を抱くとき、まずそれは僕達によって見られる/嗅がれる/聞かれる/触れられる/味わわれる、それらを合わせて感じられるものなんです。

 

このパースペクティブから物事をreframeすれば見える問題、そうしないと見えない問題があると思います。

 

例えば電車内で、ガタンゴトンという線路と車輪の音、ドアの開閉の音、車窓から差し込む光など、様々な刺激があるにもかかわらず、電話する人の声を(あるいは、その声だけを)耳障りに思ってしまうことも、そのsensory orderの破壊と記述できます。

何が感じられるべきで、何が感じられるべきでないかという、感覚のnormativeな側面が浮き彫りになります。これはまごうことなく、感覚の社会性を表しています。

 

こうした違和感に注意を傾けることが、「常識」を相対化する営みを始める第一歩なのかなと思います。

 

僕は未熟な学部生なので、大したことは言えないけれども、こうした「感受性」を鋭敏にして、社会学を学んでいきたいと思います。

 

 

参考文献

Phillip Vannini, Dennis Waskul, Simon Gottschalk.2013.''The Senses in Self, Society, and Culture.'' Routledge