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しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

「感化」されるということ ‐ 移り、染まり合う「感じ」

気持ち

「感化」って何でしょう。

「感化される」という受け身で使われることが多いように思います。

「感化する」なんて言い方あるのかしら。

 

それはさておき、語源は知らないけれども、僕が興味を持ったのは「感」という字が使われている点です。感覚、感情の「感」です。

 

感情や感覚の社会学を学んでいる身としては、この「感化」という面白い言葉を何とか捉え直してみたいところです。

 

 

 

 

「影響」ではなく、「感化」

まず、感化は影響って言葉とは違うの?という単純な疑問が湧きました。

結論は、ある人から感化される、という時に何が変わるのかというと、まず何より感じ方が変わるというものです。

以後感覚や感情を含めて、これを「感じ」や「感的」と表しましょう。

 

「あの人の生き様に感化される」とか、「あの映画に感化された」とか。影響でもよくねって。

 

「あの人の生き様に影響される」

「あの映画に影響された」

 

いや、完璧には置き換えられてない。やっぱり「感じ」という重要な意味が抜け落ちている気がする。

 

影響というと、ある波源から、自分の元へと波が流れてきて、自分の波とその波が混ざるようなイメージです。山ができたり、谷ができたり。響くってそういうことですよね。

 

でも、感化の波は、丸ごと自分を飲み込んで、自分の周波数そのものが変わるイメージです。

 

物事の感じ方が変わるんです。

"Ways of sense-making"と表しましょうか。

物事に対する理解の仕方、とある「感じ」生成の仕方が、感化されることによって、変わる。

 

 

「感じ」を生成するということ

ある人に感化されて、自分の考え方や行動様式(culture)が変わるという時に、それは感じに基づいています。

ある人の感じ方が自分に移る、染まるということです。

 

例えば。僕は、とある授業を履修したことによって、社会心理学やミクロ社会学を好きになりました。

その先生に感化されたわけですが、僕は「社会学」という学問を通して、自分の大学生活が再編成されました。

社会学的想像力」という言葉もあるように、自分の物事に対する「感じ」がそれまでとは別様のものとなりました。

ほかの授業を社会学という「目」で見ることを意識するようになったし、エスノメソドロジーという社会学の分野を知ることができたし、感化されて、社会学という感じ方を僕は知ったわけです。

 

もちろん、勉強に限らずもっと幅広くこのことは当てはまるでしょう。

友達が、自分の知らない誰かの愚痴を言っていた場合、自分もその人を嫌な印象を抱くようになることはしばしばあります。

これは、感化が、嫌な感じを持つという結果に至ったと言えるでしょう。

 

例を挙げればきりはないですが、もう一つ。

僕は大学2年の頃に、所属するボランティアサークルでいくつかの演劇を作りました。脚本を書いて、自分も出演して、それを子どもたちに見てもらいました。

きっかけはサークルの先輩が僕に、自己表現することの楽しさを語ってくれたことです。ささいな会話でしたが、それ以来、ボランティア活動でいかに子どもたちを楽しませるかとか、演劇であればどう見てもらえるか、魅せられるかとか、考えるようになりました。

自分がサークルに参加して楽しいという感じだけではなく、ほかの部員や子どもたちをどう楽しませるかという作り手側の気持ちを理解するようになったというか、感的経験のあり方が僕の中で変わりました。

今でも、他の部員が考えたゲームとか、後輩が脚本を書いた劇を見て触発されるというかインスパイアされるというか、まあ端的に言えば感化されることが多いです。

 

 

 

他者と感的なもの

日常は感化の連続なんじゃないでしょうか。

良くも悪くも、僕達は誰かによって感化され、自分もいつの間にか誰かを感化し、自分に感化された人にまた自分も感化され…みたいに。

 

感化の強弱はあれども、生きている限り誰かに感化されずにはいられない。

他者がいて、自分がいて、感じ合い、その感じ方を変え、また別の感的な経験を重ねていく。

感化は一方的なものではなくて、相互的なもの。再帰的なものなんだと思います。

 

僕達は日常生活の中で互いに感化され合うわけですが、「恋愛」は強力な感化装置の一つと言えるでしょう。

好きな人、恋人には感化されずにいられないし、自分も必ず相手を感化している。

好きな人が好きな音楽を自分も聴くようになるとか、好きな人の好きな食べ物を自分も好きになるとか、分かりやすい感じ方の変化です。相手に合わせることが気持ちいい。いい「感じ」なんです。

愛で染め、愛に染まる関係。それがいい愛か悪い愛か。それは感じ方次第ですが。

 

 

さいごに

感化されるということ。それは他人の感じ方が自分の中に染まること。

まさに「感染」です。二人の人間の間の出来事ではなく、どんどん周りに波及するんです。

 

一度染まれば完全な脱色は不可能かもしれないけど、染まった自分の感じ方がまた誰かを染めて、また自分も誰かに染められ、その繰り返しなんだと思います。

よく感化されればそれはcultivatedと表せるでしょうし、悪く感化されればそれはpollutedと表せるでしょう。

 

カルチベートされること、すなわち心を耕す(教養を身に付ける)こと、太宰治が言うには愛するということを知ることが大事です。*1

 

変な人に「汚染」されてはいけません。

 

 

 

*1:『正義と微笑』より。詳しくは過去のこの記事参照

 

sample-bang.hatenablog.com