しんしんの雑記帳

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劇団コギト『蛾H蝶』の感想 - 長い沈黙の意味づけ

劇団コギトの『蛾H蝶』を観劇しました。

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結論から言うと、衝撃的でした。「引き込まれざるを得ない」感覚です。ものすごい体験でした。

 

内容のネタバレはしたくないので控えます。

以下の記事は、この劇の一番最初の台詞一言に絞って感想を述べます。あしからず。

 

 

 

観劇していて、また観終わって考えたことをこれからつらつら書きます。

まず、観客の立場から観劇を三つのシークエンスに分けます。それは①その劇を知る段階、②実際のパフォーマンスを観る段階、③回想する/余韻に浸る段階の三つです。

もちろん時間的な推移の順です。

①は、実際に観る前にその劇の内容について知る段階です。twitterを見たり、パンフレットを読んだり、演者と話をしたりなどです。

僕の場合は、後輩がこの劇の脚本・演出であること、また別の後輩が出演することを知っていました。逆に言うと、これしか知らなかったわけですが。

 

②は更に三つに分けられます。座席に着席し、劇を体感し、帰る。帰る段階と③は連続していますね。

分けられているということは、それぞれの間は明確に区切られているわけです。着席してから観客は劇が始まるのを待ちます。そして劇は何らかのセリフ、あるいは暗転、あるいは音声などによって開始されます。これらは劇開始のサインになっているというわけです。そして劇は終わります。演者全員が横並びになっておじぎをすることが劇終了のサインになっているようです。劇が終わると観客は拍手します。劇が終わると観客は席を立ち、帰路に着きます。

 

③の段階は観終わってから、あれはなんだったのだろうかと回想する段階です。演者と直接話をすることもあるかもしれないし、何らかの形で後日談を聞くかもしれません。今回は運よく後輩2人と、同行者の合わせて4人で終了直後に話す機会がありました。

今こうして感想を書いているのも回想/余韻ですよね。

 

観劇というと②だけが注目されがちだと思いますが、この3つ合わせて観劇という体験を構成しているのです。

この記事の内容は僕のトータルな観劇体験に連なっているということです。

 

沈黙

さて。今回の劇で僕がショックを受けたのは、劇の冒頭です。

開演時間になり、ハロウィンの音楽が流れています。登場した演者が1人舞台で座ってPCに何かをタイピングしています。照明が変わらないので、まだこれは始まっていないのだろう、と最初思いました。これから彼が何かのセリフを発することで劇が始まるのだろうと。

しかし、彼は黙々とタイピングしています。次にもう一人の演者が登場しました。先の役者の近くに座っています。彼女も何も言いません。彼女はすぐに退場し、また戻って来て小道具をいじったり、先の役者をチラチラ見たりしています。

この場面が1分、また1分と続くのです。僕は困惑しました。これは何なんだろうと。しかし演者が2人登場して座っているのだから、こういう演出なのだろうと思いました。僕はこの2人が何者で、この場面が何なのか皆目見当が付きませんでした。

1分。また1分過ぎます。2人は何も話しません。ただただハロウィンの音楽が流れます。

 

ジョン・ケージもびっくりするほどの(!)沈黙が流れました。

僕は思いました。「観客は試されているのだ」と。

お前はこの劇から何を見、何を感じるのかと。

 

 

「非表現の表現」

 

 

そうか、脚本・演出した方はこれを表現したかったんだ、と感じました。実際にはそうではないんでしょうが

永遠にも感じられる時間が流れました。

 

 

 

 

 

突如静寂を破る声

 

「YES!!プリキュア!!!!!!」

 

 

 

………やられた。(耳が)

こうして怒濤の30分が過ぎていきました。

圧巻。

 

 

長い沈黙(後で聞くと約7分あったらしい)で十分すぎるほど観客の注目を引き付け、緊張を高めてからの叫び声。本気でビクッとしました。こんな演出を考え出す発想がヤバいと思ったし、同時に鬼才/奇才だと評せざるを得ないと思いました。

もちろん演者の方もよくこれを演じられるなと、最初の場面を見ていて思いました...

 

 

 

何が行われていたのか。それを観客はどう理解したのか。

終演後、脚本・演出の方と、最初の場面に居た彼女と話した時に、またびっくりしました。

なんと、あの沈黙は器材等のトラブルによって引き起こされたもの(それにより劇をスタートできない)であり、演出ではなかったらしいのです(!)

あれは偶然だったのか。思わず笑えてきました。

それと同時に、演劇の即興性・一回性に思いを巡らさずにはいられませんでした。

 

劇団員たちにとって、あの約7分の沈黙はトラブルそのものであるにもかかわらず、観客は緊張を高める演出だと捉えられたわけです。これはどのようにしてでしょうか。

 

この場合、観劇のシークエンス②のうちの1と2の境界が曖昧でした。観客は劇が始まったかどうか分からない。最初の数分は始まったのか分からずきょろきょろする方もいました。演者さん曰く、男性の「YESプリキュア」というセリフがすぐにあって、それにより劇が開始されるというのが元々の演出だったらしいです。今回の場合は、そのセリフを言うことができないので、7分間劇は始まっていなかったことになります。しかし、観客はそれを「沈黙」の演出なのだと意味づけしました。

 

沈黙(それも不自然なほど)は、もしそれが劇中にあれば「セリフ忘れ」と理解される可能性があるでしょう。

しかし、この劇の場合、一番最初登場してから、演者はずっと黙ったまま、一方はひたすらキーボードをたたき、もう一方はずっと椅子に座って時折手荷物をいじったり、辺りを見回したりしています。

つまり、「演劇」という文脈のもとで、2人の振舞いは「ただの沈黙/セリフ忘れ」or「劇が始まる前の準備」ではなく「意図された、あえての沈黙という演技」なのだと理解されるし、それが演技であることにより、その文脈が「演劇」だという理解が支えられていたと考えられます。

そのことから更に、この2人の振舞いはデザインされたもの(=そういう演出にあるもの)ということも導かれるし、更に「この演出家はヤバい」という評価もされたというわけです。

シークエンスが曖昧なことが、最初の数分間この文脈に不安定さをもたらしていました。観客は場面の定義をしかね、揺さぶられるということです。

しかし、5分以上2人が同じ振舞いを続けていることから、「演劇」という文脈が確固としたものとなっていく。その過程で観客は引き込まれざるを得ません。

「この劇は始まっている。でもなぜ2人は黙っている?2人は何者で何をしているんだ?」というように...

 

 

こう考えると、あの沈黙が実際に演出されたものであるかトラブルであるかは差し当たりどうでもよくなる。

「演劇」という記述/文脈のもとであの「長い沈黙」は理解された。このことが示せればいい。

 

要するに

劇団コギト『蛾H蝶』、間違いなく面白いです。もちろん他の劇も面白かったです。

詳しい情報は以下のリンクです。

いいものを見させてもらいました。

 

「トラブル」がなかったら、こんなに衝撃は受けなかったかもしれないです。それほど鮮烈な体験でした。

演劇は面白いですね。僕もやりたいです。

 

green55.jp