しんしんの雑記帳

みんなのハートをキャッチだよ!

ロミオとジュリエットの出会うところ

 

履修している授業でロミオとジュリエットを読んだ際のレジュメを一部加筆修正してブログにします。エコですね(違う)

 


1. あらすじ

宿敵同士であるモンタギュー家とキャピュレット家の子息と息女であるロミオとジュリエットは恋に落ち、結ばれ、数日後には死を迎えてしまう。

 

2. 注目した箇所

私が着目したのは、ロミオとジュリエットが二人で登場する場面である。それはまず第一幕第五場、第二幕第二場、第三幕第五場、第五幕第三場の四つです。以下ラストシーン以外の場面での私の好きなセリフを抜粋し、原文や様々な訳の間でどう違うか見解を述べる。

 

3. 第一幕第五場 キャピュレット家での舞踏会の場面

・中野訳pp.57-8
ロミオ:だが、唇は聖者にもあり、巡礼にもありましょう。
ジュリエット:でもね、巡礼様、それはお祈りに使うための唇ですわ。
ロミオ:おお、では私の聖女様、手にお許しになることなら、唇にもお許しをくださいませんか?願わくは許し給え、信仰の、絶望に変らざらんが為に、- 私の唇の祈りです、これが。
ジュリエット:いいえ、聖者の心は動きませんわ、たとえ祈りにほだされても。
ロミオ:では、動かないで下さい、祈りの効しをいただく間。(接吻する) さあ、これで私の唇の罪は浄められました、あなたの唇のおかげで。
ジュリエット:では、その拭われた罪とやらは、私の唇が背負うわけね。
ロミオ:私の唇からの罪? ああ、なんというやさしいお咎めだ、それは!もう一度その罪をお返しください。(再び接吻する)
ジュリエット:接吻一つに、ずいぶん難しいこと仰いますのね。

 

・平井訳 p.59-60
ロミオ:では、聖者にも唇があり、巡礼にも唇があるのはなぜでございましょう。
ジューリエット:祈りのときに用いるための唇でございます、巡礼様。
ロミオ:では聖者様、手で行なう勤めを今度は唇で行なわせてください、私の唇の祈りを聞きいれてください、さもなければ私の信心も絶望へと変わりましょう。
ジューリエット:祈りに応えて願いを聞きいれても、聖者の像は動きはしませぬ。
ロミオ:では、祈り求めたものを私がいただきますゆえ、動かないでいただきましょう。こうやって私の罪もこの唇からあなたの唇によって拭い清められました。[ロミオ、ジュ-リエットに接吻する]
ジュ-リエット:どうしましょう、私の唇はあなたの罪で汚れてしまいました。
ロミオ:私の罪で? ああ、ありがたい、そんなふうに咎められるとは! ではその罪を私に戻していただきましょう。[ロミオ、再びジュ-リエットに接吻する]
ジュ-リエット:お見事な接吻ですこと。

 


・原文
Rom. Have not saints lips, and holy must use in palmers too?
Jul. Ay, pilgrim, lips that they must use in prayer.
Rom. O, then, dear saint, let lips do what hands do; They pray, grand thou, lest faith turn to despair.
Jul. Saints do not move, though grant for prayers’ sake.
Rom. Then move not, while my prayer’s effect I take. Thus from my lips by thine my sin is purged. [Kissing her.]
Jul. Then have my lips the sin that they have took.
Rom. Sin from my lips? O trespass sweetly urged! Give me my sin again.
Jul. You kiss by the book.   


【コメント1】
最後のジュリエットのセリフの解釈が訳ごとに違っている。中野訳ではロミオのキスに対してネガティブな感情を表しているのに対して、平井訳ではポジティブな印象を述べている。”by the book” は、「(本のように)形式ばっている」というような意味のイディオムなので、おそらく中野訳のほうが辞書的には正しいのだろう。平井訳は「お見事な接吻」という言葉で皮肉を表しているとも読める。ただ、14歳の小娘がそんな皮肉を言うのだろうか、という疑問はある。じっさいこの場面で二人はお互いに恋に落ちるわけだから、ジュリエットも素直になればいいのにと思いつつ、皮肉を言ってしまうというのが乙女心なのだろうか。

 

 

4. 第二幕第二場 キャピュレット家の庭園にて、ロミオとジュリエットが愛を誓う場面


・中野訳pp.68-9
ジュリエット:ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜはロミオでいらっしゃいますの、あなたは? あなたのお父様をお父様でないといい、あなたの家名をお捨てになって! それとも、それがおいやなら、せめては私を愛すると、宣言していただきたいの。さすれば、私も今を限りキャピュレットの名を捨ててみせますわ。
(中略)
   仇敵はあなたのそのお名前だけ。たとえ、モンタギュー家の人でいらっしゃらなくとも、あなたにはお変わりないはずだわ。モンタギュー――なんですの、それが?手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、人間の身体についたどんな部分でも、それはない。後生だから、なんとか他の名前になっていただきたいの。でも、名前が一体なんだろう?私たちがバラと呼んでいるあの花の、名前が何と変ろうとも、香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと、名前はロミオ様でなくなっても、あの恋しい神のお姿は、名前とは別に、ちゃんと残るに決まっているのですもの。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、そのお名前の代りに、この私のすべてをお取りになっていただきたいの。
ロミオ:お言葉通り頂戴しましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んで下さい。すれば新しく洗礼を受けたも同様、今日からはもう、たえてロミオではなくなります。

 

・平井訳 pp.72-3
ジュリエット:おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオなの? お父様とは無関係、自分の名は自分の名ではない、とおっしゃってください。それがいやなら、お前だけを愛していると、誓ってください。そしたら、私もキャピュレットの名を捨ててしまいましょう。
(中略)
   私の仇はただあなたの名前だけ、モンタギュー以外の名前をもっておられてもあなたはあなた。モンタギューというのは何なのか。手でもなければ足でもない、腕でも顔でも、いいえ、人間の五体のどの部分でもない。ロミオ、他の名前の人になってください! 名前っていったい何なのか? みんなが薔薇と呼んでいるあの花も、ほかの名で呼ばれてもその甘い薫りには変わりはないはず。同じようにロミオも、ロミオと呼ばれなくとも、あのなつかしいお人柄に変わりはなかろう、もともとロミオという名前とは、何の関係もないお人柄なのだから。おお、ロミオ! どうかそのお名前を捨ててくださいまし! そしてそのかわりに、あなたにとってそう大切でもない名前のかわりに、私を、私のすべてを、おとりくださいまし。
ロミオ:おっしゃるとおりにいたしましょう! 私をただ、恋しい人と呼んでください。すぐにでも洗礼を受けて名前を変え、ロミオという名前とは別の人間になりましょう。

 

・原文
Jul. O Romeo, Romeo! Wherefore art thou Romeo? Deny thy father and refuse thy name; Or if thou wilt not, be but sworn my love. And I’ll no longer be a Caplet.
   Tis but thy name that is my enemy; Thou art thyself, though not a Montague. What’s Montague? It is nor hand, not foot, nor arm, nor face, nor any other part Belonging to a man. O, be some other name! What’s in a name? that which we call a rose by any other name would smell as sweet; So Romeo would, were ne nor Romeo call’d, Retain that dear perfection which he owes without that title, Romeo, doff thy name, and for thy name, which is no part of thee, Take all myself.
Rom. I take thee at thy word: Call me but love, and I’ll be new baptized; henceforth I never will be Romeo.


【コメント2】
下線部は有名な部分である。名前は何であれ、中身(本質)は変わらないということを言っている。まず私が気になったのは”dear perfection”の訳し方である。私はどちらの訳にもしっくりきていない。中野訳では「恋しい神のお姿」となっており、平井訳では「なつかしいお人柄」と訳している。Perfectionはレキシコンによると、「完璧な状態」ということなので、ここでは「神」的な含意は特になさそうだと思われる。ジュリエットにとって完璧ということだと解釈できるので、わざわざ神という概念を借りてくる必要がないということだ。
二点目に、破線部についてである。ロミオにとっては、ジュリエットに「愛しい人」と呼ばれることがすなわち「洗礼」なのではないか。だとすると、平井訳だとその意味合いが出せていないことになる。

 


5.第三幕第五場 ロミオが追放される前にジュリエットに会う場面


・中野訳 p.145
ジュリエット:では、窓よ、光を入れて、そして生命を送り出しておくれ。
ロミオ:さようなら、さようなら! もう一度接吻を。それでは行こう。
ジュリエット:このままいらっしゃるのねえ? いとしい人、ええ、大事な私のあなた!

 

・平井訳 p.158
ジューリエット:夜が明けた? では、窓よ、朝日を迎え入れ、恋人を送り出すがよい!
ロミオ:では、お別れだ! だが降りてゆく前に最後の接吻を!
ジューリエット:もう行ってしまわれるのですか? 恋しい旦那様、いえ、私の恋人!

 

・原文
Jul. Then, window, let day in ,and let life out.
Rom. Farewell, farewell! One kiss, and I’ll descend.
Jul. Art thou gone so? My lord, my love, my friend!

 

【コメント・論点3】
 この箇所で私が気になったのは、”life”が何を指すのか、という点だ。ロミオを送り出すシーンなので、送り出される生命はロミオを指すと読める。しかし、ここで別れたあと、次に二人が出会うのは、互いの死体である(正確にはロミオが出会うのは仮死状態のジュリエット)。つまりこの先の展開の暗示にもなっていると考えられる。
ここでのlifeというのは、ロミオのことであるかもしれないし、二人の「生命」かもしれないし、二人の幸せな「生活」かもしれない。何気ない一文ではあるが、私にはとても引っかかる箇所だった。

 




・参考文献
シェイクスピア著,中野好夫訳,1994,『ロミオとジュリエット』新潮社
――――――――,平井正穂訳,1988,『ロミオとジューリエット』岩波書店
Furness, Horace Howard (ed). 1871. A new variorum edition of Shakespeare. https://archive.org/details/newvariorumediti01shak
Onions, C. T. 1911. A Shakespeare glossary. https://archive.org/details/shakespearegloss00oniouoft
Schmidt, Alexander. 1886. Shakespeare-lexicon, a complete dictionary of all the English words, phrases and constructions in the works of the poet. https://archive.org/details/shakespearelexic02schmuoft